2008-03-27 第169回国会 参議院 文教科学委員会 第3号
昭和二十四年にこの文部次官通達が出される前に、この新聞によりますと、一年余り前の二十三年七月、旧文部省は教科書局長通達で、国公立の小中学校が主催して神社仏閣、教会を訪問することを、GHQ、連合国総司令部の神道指令に反するものとして全面禁止をした。
昭和二十四年にこの文部次官通達が出される前に、この新聞によりますと、一年余り前の二十三年七月、旧文部省は教科書局長通達で、国公立の小中学校が主催して神社仏閣、教会を訪問することを、GHQ、連合国総司令部の神道指令に反するものとして全面禁止をした。
であれば、そのことについては懸念がないのかと、こういうことになってしまうわけで、私どもは、学習指導要領の中で宗教的情操ということが盛り込まれて、そのことが特段の懸念なく今までに至っているという実態と、そして、しかしながら一方で、特に教育基本法ができた当時というのは神道指令というものが出まして、過度にそうした、もちろんあのときは執拗だったと、ある程度やむを得なかったというふうに思いますが、しかし、今日
しかし、他方では、美濃部先生は、これも専門的になりますが、神道指令というものによって不文の大権たる祭祀大権が廃止されて、したがって、皇室祭祀も皇室の家長たる天皇の私ごと、私事となったというふうになっておりますけれども、今日参考人で来ておられる園部先生もおっしゃいますが、昔のように国事か私事かと、あるいは公か私かという二者択一ではなくて、それでもって皇室祭祀は論じられてはいけないだろうと。
私は、これは、日本が占領下に置かれておったときに、占領軍が神道指令というものを出しまして、国家、政治と宗教というものをかたくなに切り離そうとした、その残像がまだ残っている状態が今の状態ではないかな、そんなふうに思っているわけでございまして、裁判官にもそういう影響がまだ残っているんだなというふうに思います。
御承知のとおり、昭和二十年の十二月十五日に占領軍によって神道指令が発令されて、国家と宗教の分離が図られた。新憲法のもとで、象徴天皇は国政に関する権能を有しないという存在となったわけでございます。 そんな中で、大嘗祭は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから根づいている収穫儀礼、そして国家安寧と五穀豊穣を感謝する、そういう儀式だ。
日本が戦争に負けました昭和二十年の十二月に早くも神道指令が出されておるわけでございまして、神道に対してはいかなる国の援助も許されないと規定されておるわけでございますし、神道に関係を持つ記事は教科書から全部削らされたわけでございまして、したがいまして、自来、神話、伝説が教えられないで今日に至っておるわけでございます。
個々の条項がそのままに来ているわけでございまして、例えて申し上げますと、昭和二十年十二月には神道指令が出ました。そこで、神道とかかわり合いのあるような記事は教科書から全部抹殺するということが命ぜられたわけでございますし、あるいは、大東亜戦争、八紘一宇等々の言葉を使ってはいけないということになったわけであります。
二十年の十二月に神道指令が出されておるわけでございますけれども、この中で、神道にかかわり合いのあるような教科書の記述は全部削れと命じてきたわけでございました。したがって、神話、伝説は一切消えていったわけでございます。さらにその中で、国体という言葉を使ってはならないと言っておるわけでございます。日本の国柄を変えようとするときに、国体を論ぜられたら矛盾するということがあったんだろうと思います。
いろいろな点からこれは申し上げたいのですけれども、時間がございませんので一つだけ、いわゆる神道指令、昭和二十年十二月十五日だったでしょうか、神道指令についてちょっと申し上げたいと思います。 神道指令の最初の、神道指令が発せられた目的にはっきり書いてあります。
昭和二十年十二月二十五日には、いわゆる神道指令というもので具体的かつ徹底的にこの戦前の宗教法制及び宗教行政というものはたたき壊されたわけでございます。日本の神道というものが日本の戦争遂行の強固なイデオロギー的主柱であったから、連合国が日本の非軍事化、それから民主化の重要な要素として国家神道の禁止と国家と宗教の厳格な分離を命じたわけでございます。当然の措置だったと思います。
だから、これから大東亜戦争——大東亜戦争だって、あれはあなた、マッカーサーから太平洋戦争と読みかえさせられたんですよ、神道指令で。もともとはあれは大東亜戦争ですよ、日本が言ったのは。それを太平洋戦争と読みかえをさせられた。それからシナ事変、それから満州事変、日露戦争。それまではアメリカは日本とよかったんだから。
その最初のときには大変厳しいものがございまして、神道指令、公務員は国家公務員であっても地方公務員であってもいかなる神社にも参拝してはならない、あるいは教科書から神道にかかわり合いを持つ神話や伝記は全部削れと言うてまいりましたし、大東亜共栄圏という言葉や八紘一宇という言葉も禁句になってまいりました。衆議院の選挙の前にも、立候補するためには資格審査を受けさせたわけでございました。
そういうことを言い始めたのは敗戦の昭和二十年十二月の神道指令に発しているのですよと、私は素直な気持ちで参拝したのであって、公的な身分だとか私的な身分だとか、自分の身分を考えたことはありませんよと、その神道指令の中には、公務員は、国家公務員であれ地方公務員であれ、いかなる神社にも公務員の身分で参拝してはならない、こう書かれたのですよと、それから始まったのですよと、こう申し上げたわけでございました。
戦後、二十年の十二月十五日の神道指令によりまして、靖国神社初め国とのかかわり合いが一切断絶されるに至ったわけであります。そして二十一年の十一月一日、内務、文部次官から地方長官あての公葬等の通達によって、公葬、慰霊祭等に公務員とのかかわり合いが禁絶された。
こういう中で、こういう成り行きのままにいきますと、まるで占領中の神道指令がもう一回復活しなきゃとどまらないような、あるいは昭和二十六年九月十日に出された文部次官等の通達が政府においても国会においても現に有効であるという確認をされておるにかかわらず、実質的にはこういうものはどんどん形骸化しておる。
しかるに、その後ポツダム宣言の受諾に伴いまして、連合軍がいわゆる神道指令と俗に呼ばれる覚書をもって、実は十二月の十五日に政府に、大東亜戦争と呼ぶことはけしからぬということを言って、公文書等から消えていくわけであります。そして、これによりまして、十二月の二十日に、文部省は、教育の場でも大東亜戦争と呼んではならぬということにしているわけであります。
しかしながら、昭和二十年十二月のいわゆる神道指令を踏まえまして、閣議を経て、戦争の呼称を今次の戦争などと変更して現在に至っておる、こういう経緯でございます。
しかし、先ほどいろんな事例を申し上げましたように、神道指令はもう既に効力を失っております。しかも、それに縛られる、そして政教分離にひっかけて何もかもそうしたものは全部憲法違反であるという、まことに我が国の伝統、習俗も全く顧みないそうした風潮が見られる。
この政教分離についてもとになっていると申しますか、いわゆる昭和二十年十二月十五日の占領軍による神道指令、これが一つ大きな影響力をもたらした。そしてまた、その占領中に制定された憲法、現在の憲法二十条の信教の自由、政教分離の規定、これも極めて深く神道指令の影響を受けているわけであります。 私は、手元に憲法改正小委員会秘密議事録をまとめたものがございます。
○前田(正)政府委員 日本国憲法は、申し上げるまでもなく、国会の審議を経て制定されたものでございますから、日本国民がこれを制定したということでございますので、その神道指令を直接の基礎とするという意味ではございませんけれども、当時の事情からしまして、双方の関係が考慮されたであろうということで申し上げた次第でございます。
○竹村分科員 それでは、私たちの今の日本国憲法の二十条、八十九条に神道指令が非常に大きな影響を持ち、また密接なつながりを持っているということをお認めになるわけですね。
○竹村分科員 神道指令が効力を失っているという御発言なんですね。しかし私のお聞きしたのは、神道指令そのものが効力を持っているかとお聞きしたのではなくて、その神道指令が我が国の憲法二十条、八十九条にどのように影響を与えたか、その関連をお聞かせくださいとお尋ねいたしました。
当裁判所は、本件について、この原則を厳格に適用する」と、判決の結論、ここで言われていることも、ちょうどあのマッカーサーが乗り込んできて神道指令を出して、一切の日本の伝統的なものを根こそぎに否定をし、これを覆した。この訴えた人たちが心配している軍国主義の復活とかなんとか、あり得ないことであります。むしろ今度の判決によっては、占領政策の再現ではないのか。
この通達によって、占領中、神道指令またそれに基づく指令に基づいて一切の公葬等が禁止されておった。これが二十六年の通達によって、たとえば護国神社、民間団体、そういうものが主宰をする慰霊祭に知事、市町村長その他の公務員がこれに列席をする。